海外に出ると見えてくる、東京の「普通」が普通ではない理由

海外にしばらく滞在して戻ってくると、東京の日常が急に違って見えることがあります。便利さや面白さは変わらないのに、「これが世界共通の普通ではない」と感じる瞬間が増えるようです。

人口とお金と競争が、かなり狭い範囲に圧縮されている。そのローカルルールに、いつの間にか慣れてしまっているのかもしれません。

家賃は高いのに、家は狭い

東京の賃貸は、他の大都市と比べても専有面積が小さめに出やすい傾向があります。単身向けでは15〜25㎡前後の物件も多く、1人世帯の平均面積は欧米の主要都市よりかなりコンパクトに見えるデータもあります。

地方と比較すると、同じ3.3㎡あたりの家賃は東京が突出して高く、持ち家の平均面積も90㎡前後と狭い側に寄ります。土地の希少性が、家賃の高さと広さの上限を同時に決めている構造に近いのかもしれません。

「高くて狭い」を当たり前と感じる感覚は、海外の住宅事情を一度見ると、かなり特殊に映ることがあります。

満員電車と長い通勤を、日常として受け入れる

首都圏では往復の通勤・通学時間が1時間30分前後になるケースが珍しくありません。神奈川や千葉、埼玉ではさらに長くなりやすい、という統計もあります。

朝の混雑率が高い路線では、体が触れ合うほどの密度が「普通」として語られがちです。海外の大都市にも混雑はありますが、東京圏のように毎日それを前提にした生活設計が広く共有されている点は、外から見ると目を引きやすいようです。

往復2時間を「仕方ない」と処理してしまう空気は、便利さと引き換えに時間を差し出している構造を、あまり疑問視しない文化と重なっているのかもしれません。

年収が上がるほど、家賃と見栄も上がりやすい

収入が増えると、住む場所や物件のグレードも一緒に上がっていく。会社名、年収、住む街で人を測る視線も、東京では比較的はっきり残っているように感じられます。

どこへ行っても人が多く、常に他人の目がある。人口密度の高い区では世界有数の過密さになり、パーソナルスペースの感覚も都市生活の中で独特に調整されている、という指摘もあります。

見栄と格付けが、住居や通勤の選択にまで影響しやすい。この連鎖は、海外の「仕事は仕事、住まいは住まい」と分けて考える空気とは、少し温度が違うように見えることがあります。

35年ローンで「安定した」と感じる感覚

持ち家を買うときに35年ローンを組み、「人生が安定した」と語る場面は、今も少なくないようです。最近は価格上昇を受けて、35年を超える超長期ローンを選ぶ人も増えている、という調査もあります。

長期の負債を前提に安心感を得る発想は、金利や物件価格の環境が変わると、同じようには機能しにくくなるかもしれません。海外ではより短い返済期間や、賃貸を長く続ける選択も普通に並んでいる地域があります。

「買った=安定」という方程式が、どこまで普遍的なのかは、一度外から見てみると問い直しやすいテーマです。

便利すぎるのに、時間も気力もない

世界トップクラスに娯楽が多く、インフラも整っている。それなのに、疲れて遊ぶ気力がない——この矛盾は、東京をよく知る人ほど共感しやすい部分かもしれません。

仕事のために東京に住み、東京に住むために仕事をする。便利さが生活の余白を増やすどころか、競争と移動と視線の中で、余白を削っているように見える瞬間があります。

便利な街と、生きやすい街は、必ずしも同じではありません。東京は面白いし、効率も高い。ただ、その「普通」は世界共通の普通ではなく、人口と金と競争を極端に圧縮した都市のローカルルールだった、と気づく人が少なくないようです。

東京の良さを否定する必要はありません。ただ、慣れ親しんだ日常を一度「外の目」で見直してみると、何を残して何を手放すかの判断が、少し楽になることもあるかもしれません。

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